第92号(H.13.1.25)

No.1へ
新年のごあいさつ
新春講演会

No.2へ

組合の動き
資産税に関する実務研修会

No.3へ
京都市交通のあゆみ
 

No.4
21世紀記念エッセイ
有田徳五郎先生〜石原 豊先生

No.5へ

21世紀記念エッセイ
木村祐一先生〜嶋谷俊子先生

No.6へ
21世紀記念エッセイ
田中美代子先生〜西 幸三先生

No.7へ
全国統一キャンペーン表彰式
ソフトボール大会

No.8へ
ふれあい美術館


welcome 21世紀 記念エッセイ


有田徳五郎   石田哲雄   永守 守   淡路末子   石原 豊


私 と 軍 隊

上京地区   有田 徳五郎

 新世紀、 新世紀と喧しく騒ぎ立てるが、 私は81年間過した20世紀の方が余程懐かしいし、 思い出が尽きない。
 20世紀のうちで私の体験した最も大きな出来事と言えば、 やはり昭和15年から22年までの軍隊及び戦争体験である。
 昭和15年は紀元2600年に当たり支那事変の真っ最中であった。 この年の1月10日に私は東京九段坂の近衛歩兵第二聯隊に現役兵として入営した。
 近衛兵というのは全国の壮丁中から選ばれて宮城を守護するという特別の任務に当たるため、 憲兵よりまるで興信所のような調査を受け、 その徴兵令状を受けることは一家一門の誉として学区を挙げて祝福されたものである。
 入営した年の10月頃だったか、 2600年を祝う観兵式が代々木練兵場で行われた。
 陛下の御前を分列行進するのだが、 その演習が大変で何日も前から一糸乱れず一線で行進する予行演習を何日もやらされた。
 15年12月に甲種幹部候補生として盛岡陸軍予備士官学校に入学したのだが、 先ず遺言状を書かされ、 爪や髪を切って一緒に封筒に収め、 これを中隊長に保管を依頼して決死の覚悟で教育された。
 原隊で 「近衛兵の衿持」 という今で言えばエリート意識を叩きこまれているので東部軍管内はじめ支那派遣軍より入学して来た候補生も一緒の集合教育となれば負けておれない。 小柄な男ながら頑張ったせいか区隊長にも随分目をかけて貰ったようである。
 翌年7月卒業と同時に見習士官として敦賀の歩兵第百十九聯隊に転属になり、2年半程は聯隊で初年兵教育に没頭していたが、 昭和18年12月の第五十三師団の動員下令で師団副官の命課を受けた。
 破格の抜擢に同期生に羨ましがられたが、 自分では未だに納得がいかない。 恐らく予備士官学校卒業時の中隊長の考課状の内容が余程良かったのかと感謝している。
 初めて高等司令部勤務というものを経験したが、 気苦労が多く馴れないうちは失敗ばかり繰り返していた。
 翌年1月に大阪港を出発してマレー、 ビルマと進駐したが、 当時ビルマはインパール作戦が硬直状態になり、 わが師団は北部ビルマに転用されることになった。
 初めて敵に遭遇した時、 既に病気のため発声にも苦しんでおられた師団長河野悦次郎中将に 「参謀本部附に補す」 という電報が届き、 私は専属副官として内地へ随行することになった。
 無事京都の自宅に送り届け、 直ちに反転して原隊に追及した時は師団はフーコン地区で痛手を被り、 次の師団長武田馨中将もマラリアに苦しんでおられた。
 インパール作戦に失敗したビルマ方面軍はイラワジ河会戦を企図し当師団もその戦列に加わっていたが、 その最中に又しても師団長の高射砲兵監への転属命令が届き、 今度は戦況が許さないので私がラングーンまで随行することになった。
 その任務を終えて新師団長林義秀中将に復命したときは師団はその間に満身創痍、 転進に転進を続けている最中で、 兵力の衰微は著しかった。
 かように二度に亙って戦闘激烈時に後方へ下がって私自身危機を逃れ得たことは、 譬え命令とはいえ戦友の英霊に対し誠に申訳がなく思っている。 無傷で復員し今日まで生き永らえたのは正に天祐神助のお蔭としか云い様がない。

            炎天下軍旗を焼きて五十年
                                蟻 太


一経営者が望む税理士像

右京地区  石田 哲雄

 私は、 税理士業を12年、 別に飲食業を25年経営しております。 飲食業の社長の立場で筆をとります。
 飲食業で、 常々申しております事は、 「お客様第一主義」 です。 店には、 常にアンケートを用意したり、 ホームページを開いて、 お客様の声を聞く努力をしております。 そこから頂く、 私にとりまして、 耳に痛い事こそ、 次に来た時には、 今回お客様が経験された嫌な事は、 二度とするなと言うお客様からの大切な声と肝に命じて日々営業させて頂いております。
 税理士の先生方に望みます事は、 先生方にとりまして、 お客様である中小零細企業の経営者の声を聞こうとされておられるのか、 又、 聞かれておられるのなら、 経営者と伴に戦っておられる姿があるでしょうかという事です。 戦うと言っても、 税務署とではありません。 中小零細企業の社長達が困っている、 もっと大きな問題です。
 自分で選んだ道ですから悔いはありませんが、 中小零細企業の社長ほど割に合わない商売もないと思います。 サラリーマン社長と違い、 財産を全部つぎ込んでいますから、 いつ何時でも社長。 社長は24時間営業です。 事業や納税で社会に貢献しているだけでなく、 雇用も創出しているし、 人材を育てる努力もしています。 にもかかわらず、 今回見送りになった相続税改正を例にとりますと、 事業を承継させるのに今のままで良いと考えている経営者は、 一人もいないと思います。
 相続税の最高税率の70%は、 異常としか思えません。 ドイツ30%、 イギリス、 フランス40%、 アメリカでも55%。 しかも、 農地を持つ農家に対しては、 納税猶予の制度があるのに、 法人にはまったくなし。 又、 相続した財産が、 土地や自社株であれば、 相続したものの納税出来ないのが現状です。
 このような、 中小零細経営者にとって、 事業の承継すら出来ない制度や、 課税方法がおかしいと誰が声を出してくれるのでしょうか。 私は、 それを税理士に求めたいのです。 全国に6万人以上おられる税理士の方々が、 中小零細企業の経営者と一緒になって、 これは、 「おかしいぞ」 と言って頂きたいのです。
 今一つは、 経営者を叱る事も役割だと思います。 社長が、 社員の悪口を言う時、 孤独な経営者の愚痴を聞くのも仕事だと思って聞くようにしていますが、 度を過ぎた時、 私は言います。 「その社員を雇ったのも社長なら、 育てるのも社長でしょ。 その人の悪口を言うのは、 つまり自分で自分をけなす事じゃあないですか」 と。 リストラしたいと言われた時には、 「この会社で、 一番リストラして効率が良いのは、 社長ですよ」 とも言います。 社長を叱ってあげる。 これも税理士の仕事だと思います。 社長は、 社長業は、 割に合わないと思いつつも、 一国一城の主意識が強い為、 えてして、 増上慢になります。 その時に叱る事も必要だと思います。
 今日、 すべての中小零細経営者は自信をなくし、 会社も疲弊しきっています。 その声をまとめ、 国に届ける商工会や会議所も、 役員の方々は大企業出身者で、 とても我々の本当の声が伝わりません。
 経営者が望んでいるのは、 自分達の今日を支援してくれる6万人の組織化された集団のパワーだと思います。 身勝手かも知れませんが、 税理士のお客様は、 すべての国民ではなく中小零細企業主なのです。



五競技よりも運動会

伏見地区  永守  保

 京都教育大学では、 1周400米のグランドを無料開放しておられる。 昨年10月の新聞にのっていたので早速申し込んだ。 使用は毎日OK、 雨の日や学校行事で使えない日を除いて土、 日、 祭でも使用可。 時間は朝7時から8時半までの1時間半である。
 陸上競技場は大木に囲まれ広葉樹が多いのは嬉しい。 空気はおいしい。 静かで環境抜群、 紅葉の時節は綺麗、 落葉にも風情があって、 昔と変らぬ落着いたたたずまいは有難い。 付近に高層ビルなし、 見晴らし絶佳、 稲荷山も見える。 走路は普通の土でヒザにやさしい。 全天候型ではありません。 歩く、 走る、 縄跳び、 後ろ向きに走る、 横跳び、 手を地面につけて四ツ足になって前後左右に移動。 使用後はトンボで走路整備して帰ります。
 ジョギングについては、 これ迄に昭和50年と昭和60年の2回にわたり、 京教大の市民向けジョギング教室に参加し、 野原先生に約30日・約80時間習いました。 教育大学の先生ですから教え方のうまいこと。 御蔭様で走ることの楽しさを知る。
 さて、 近税の地域対抗競技会は不可解です。 昨年の参加者は麻雀79名・囲碁72名・将棋49名・ボウリング63名・ゴルフ167名、 近税には12,331名の先生がおられるから参加割合は約3%、 支部の参加割合は2割台である。
 近税では毎年ハンコで押したように五競技の繰返し。 以前から不思議に思っていたので近税の法規集をみたが、 五競技の規定 (指定) はない。 諸規定集43頁の下から4行目には、 「会員の健康管理、 親睦融和に関する事項」 があるのみ。 麻雀は一部の先生しか参加できない。 麻雀等で1万人超の先生方が親睦と融和を実現することは至難である。
 うろ覚えですが、 五競技のあり方について、 数ヶ月前の 「近畿税理士界」 には、 「諸会議見聞記」 のところで、 委員会の会議の様子を報じてあったが、 いかにも微視的、 消極的で重箱の底をつつくような感じを受けガッカリした。
 巨視的に考えると、 健康管理は人間ドックの検診だけでは不充分。 土台無理な話。 生活習慣病の追放は、 まず目的意識を持ち、 心は富士山のように気高くあることは勿論ですが、 何よりも大切なことは足腰をきたえることでしょう。
 税理士全員の健康管理と親睦融和を図るには、 運動会が最適。 運動会は数万人の税理士 (家族・事務員・納税協会役員を含めて) でも一場に会して自由に参加できる。 見て楽しい、 やって楽しい運動会。 税理士会で運動会をやったら悪いということはない。 せめて1回くらい試験的にやれないものか。
 そもそも五競技はいつ頃から始まったのでしょうか。 各支部の意向?アンケート調査?経緯、 理由等?引継ぎ事項、 申し合わせ事項?その辺はどんな具合になっているのでしょうか。 たかが運動会、 されど運動会。
 日本税理士会連合会も運動会をやってほしい。 もし、 税理士法改正の暁には、 全国の税理士が東京の陸上競技場に相集まり記念の祝賀運動会を盛大にやれないものか。
 両陛下もご台臨頂けたら感激に堪えないのではなかろうか。 想い起すと54年前の昭和22年5月3日、 関東の専門学校3年生のとき、 (自分は伏見生まれの伏見育ちですが、 専門学校だけは関東です。 専攻は農業簿記。 旧制中学と旧制大学は京都です) 新憲法発布を記念して東京の神宮外苑競技場で開かれた陸上競技大会を観戦、 おそれ多くも畏くも昭和天皇をまのあたりに拝顔した感激は、 今でも忘れることはできません。
 京都府支部連合会においても、 たまには運動会がよいのではなかろうか。 北部5支部と女性税理士さんも参加されたら。 かりに伏見桃山城遊園地のグランドを借りたら、 企画運営等を委託できるのでは。 支部対抗のリレー競争は面白そう。 現行のソフトボールは、 税理士の参加意欲を充足していないのではなかろうか。200人超の大支部でも1チームしか参加できないから。


懇 親 旅 行

舞鶴地区  淡路 末子

 年に一度娘婿の両親と、 私が歩き辛い事もあり、 マイカーで夫々に出発し、 宿で落ち合って、 1泊の旅行をする事になっている。 こちらとすれば、 一寸気遣いをせねばならず窮屈な旅であるが、 それでも時折電話で交わす挨拶と違って、 孫達の様子等、 全く知らないニュースを耳にする事が出来たり、 夜食事をし乍ら又、 食後等、 共通の話題を存分に話し合えて、 とても楽しい。
 先日、 北陸の宇奈月温泉に出掛けたが、 日が短くなったこの頃、 トロッコに乗るには、 お昼には到着する様に、 と打合わせをしていたのに、 高速に入る迄の道中、 工事で渋滞し予定時間を大幅にオーバーしてしまった。 仕方なく高速に入ってから、 ずっとスピードアップの連続で、 それでも安全を祈りつつ何とか無事到着する事が出来た。
 幸い、 好天気に恵まれ、11月と云うのに汗ばむ感じ。 紅葉は、 今一つと云う処でしたが、 それでも全山オレンジ色が顔前に迫り、 その圧倒的な迫力に秋を満喫した楽しい一日でした。 黒部川に沿って、 その昔開発された峡谷を上りつつ、 何処へ行ってもそう思うのですが、 どうして資材を運び、 第1、 第2、 第3と、 次々発電所が建設されたのかと、 その偉業に感嘆するばかりでした。
 外国のお城を思わせる様な建物の発電所もありましたが、 大型建設機械の少なかったでしょう当時、 作業をされた方々の御苦労が察せられました。 富山県に来て、 この水力発電所が、 関西電力により建設された事を知り驚きましたが、 黒部川の水利権を持っていたからとか……
 宇奈月温泉から欅平迄、 黒部峡谷鉄道は、 約1時間20分の行程ですが、 軌間は、762o、 新幹線の約2分の1強、 トンネルも41ヶ所、 橋も22ヶ所あった様です。 さぞ難工事だった事でしょう。
 黒部川の河川敷になるのか離れていてよく分からなかったけれど、 うす青い平面に枯木の様なものが、 ポソポソ立っているのが何なのか、 不思議に思いつつ分からないままになりましたが、 何故かうす青い様な白い石が多く印象的でした。
 ホテルの新館から旧館への長い渡り廊下に簾がずっと下がっており、 最初は、 風流と思っていたが、 透けて見える外の紅葉の美しさに、 思わず簾をかかげた処、 清少納言の枕草紙の下りを思い出したのか、 「宇奈月の紅葉は、 簾をかかげて見る」 と云って笑わせる様な1こまもありました。 帰りに、 魚津埋没林博物館に寄りましたが、 蜃気楼のスライド、 写真等を見乍ら、 不思議な現象に、 今一つ得心出来ないものがありました。 近代的な建物の中に収められた埋没林を眺め乍ら、 遠い昔に思いを馳せたり、 大昔、 大きな象も日本にいたらしく、 その剥製の象に驚きました。
 荒磯海のサービスエリアで昼食をし、 来年の再会を約して、 ペアで走行するのは危険だし、 自由に走行すべく別れたのですが、 尼御前で休憩していると、 予期せぬ再会があったり、 ここ何回かの懇親ドライブツアーの中で、 今年が最も充実した楽しい旅であった様に思いました。


新世紀に思う

右京地区  石原  豊

 余程のことがない限り、 世紀初めの10年位、 更に自覚という意味では20年位迄に生まれないと、 世紀を越えて生きると言うことは難しい。 そういう意味で1935年生まれの私は単に、 めぐり合わせとは言え、20・21世紀にまたがって生きられたことをとても幸せと思っております。
 今から10年前に4時間余りに及んで、 あの世とやらを垣間見て、 生死の間を彷徨って来ただけに、 尚更の思いであります。 ともあれ昨年の4月政府公認?の老人となりました。 今年から、 老年者控除適用年齢に達しましたが…まだ現役を務めており、 当該控除は受けられません。 これは本来の趣旨から言えば喜ばしい事なのでしょうが、 私には納得が行かぬ思いです。 私達の世代は、 まだまだ残っていた旧体制の中、 例えば国民学校入学、 小学校卒業もその一つ、 また学卒後働き始めて休日一つの例にしても、 当時の中小企業や個人商店では、1日・15日休みの名残か第1・第3日曜のみ休み、 祭日などは名ばかりで本当に休んだものならば上司に睨まれる労働環境で働き続け、 いざ経営のサイドに立った頃、 日曜日はおろか土曜日迄も、 更には祭日も倍増し、 休まなければ国家に叱られる時代になってしまいました。 この様な時代の変化を諸に受けながら、 健気に対応し、 倦まず弛まず働いて、 当たり前とは言え随分多額納税を続けてきたのです。 役所人間、 会社人間ならばもうリタイア組で年金生活に入っているのが普通です。 なのにまだ頑張って働き続け国家に可成の貢献をしているのだから、 本来の趣旨とは別に、 即ち報償的意味の高齢者特別控除でも設けて報いても、 国家としてはこの世代に対し損はないのではないのでしょうか…然し乍ら昨今の関係筋の議論を見ていますと、 此れ等、 高齢者の所得に着目した負担の強化がしきりと話題に上がっております。 まったく話にもなりません。 『子供叱るな来た道だ』 『年寄り笑うな行く道だ』 の古言もあります。 戦後廃墟と化した、 我が国を一生かけて復興するための中核を背負った現在の老年者控除適用対象者に対して何の配慮もない、 非情な政治や政策の展開は厳に慎んでほしいものです。 消費税導入時や税率引き上げ時に、 いつも論議される税の直間比率の見直しをもっと真剣に早くやり、 真の税負担のバランス、 公平を実現してほしいものであります。 此の様なことを言いますと直ぐどこからか、 国債多発に因を発した財政再建論が台頭して税制施策にいつも大きな支障となり、 いわゆる、 スローリー、 スモールで中途半端な中庸論でお茶を濁して、 抜本的な経済立て直しの出来ないまま、 我が国の経済だけ取り残されております。 二兎を追う者、 一兎を得ず。 とにかく将来不安のため、 一般国民消費者が、 金を使わず貯蓄に廻す今日です。 国は税収は揚げらずとも国債でも何でも出して金を集め、 その金を使って廻さなければ自由主義経済は成り立ちません。 こんなことを言うと直ちに孫、 子の代まで借金を残すのかの論議が出ますが…金を使わず預金をする側、 即ち国民からは国債は貯金であり資産です。 将来それを保有するが故に受取る利息と合わせた所得に納税があり、 国家はその税収財源で国債を償還すれば両者何の問題もないのです。 一般家庭や会社と、 徴税権、 通貨発行権を有する国家とはここが根本的に違うのです。 ここ1〜2年は、 まだ残っている旧体制や旧システム改善のため、 予断を許さぬ事態が起こるでしょうが、 『朝の来ない夜はない』 『春の来ない冬はない』 必ず新体制を確立し定着させた我が国が、 元気な経済を回復し夢のある真の新世紀を迎えることを期待したいものです。


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