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 理事長新年のごあいさつ 
支部連新春講演会    
トリニテー「資産税」研修会
 

No.2
テーマ『であい』      
支所だより/理事会報告 
シリーズ『京都のひと』  

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全税共優績営業職員表彰式
自由業団体ソフトボール大会
京の文学散歩        

5頁

であい

スキーとの出会い 下京地区 太田 晶子


 私がスキーに出会ったのは、 小学生、 確か一年生だったと思います。

毎年、 冬には一度、 長野の蓼科高原に旅行することが我が家の年中行事となっていたため、 幼稚園児の頃から、 スキーウェアを着て、 そりに乗ったり、 雪だるまを作ったりはしていました。


 初めてスキーの板をつけた時のことは、 残念ながらはっきりと覚えていません。

でも、 ちょっと、 大人に近づいたような気がして、 うれしかったような記憶が。


 スキーを履いたといってもスイスイと滑ることができるはずはありません。

親の両足の間に挟んでもらって、 一緒に滑るだけ。

滑るというよりも少々浮いた感じで足の間で私がふらつくためにスキー板があたり 「傷がつく」 とよく文句を言われました。

数年経っても運動オンチな私は、 へっぴり腰で滑ることしかできません。

家族には 「あんたが降りてくると、 すぐ分かるわ。 滑ってくるっていうより、 固まって降りてくるって感じやもんな」 と言われ続けていました。


 そんなことを言われて拗ねた私はある日、 一人でムクレながら離れて滑っていました。

斜面をよたよた登っていると、 右から痛みが走り、 息ができなくなりました。

二人組がそりに乗って、 下を向いていた私にぶつかってきたのでした。

スピードの出しすぎで私を避けきれず激突。 幸い双方とも大きなけがはなかったのですが、 その年は痛くて冷たいだけの旅行になってしまいました。


 少し、 マシになったかな?と思うことができるようになったのは、 大学生の頃でした。

家族に教えてもらっても、 「そんなのできひんもん」 で終わっていたのですが、 友人とスキーに行くようになると、 そんなことは言っていられません。

友達とはぐれると大変なので必死です。

大学の授業で行ったスキー合宿でかなりの急斜面 (私にはそう見えたのです) を直滑降した後はスピードにも慣れることができました。


 自分のスキーセットを買ったのも、 大学生の頃でした。

若干高目のシューズと板を買ったのですが、 道具だけではうまくはならないと、 痛感したのもこの頃です。

マイシューズを持つと嬉しくなって、 少々天候が悪くても、 帰る直前までゲレンデにいたことも。

おかげで帰りの列車の中で熱を出して、 家につくなり寝込んだこともありました。


 しかし、 毎年行っていた雪山から遠ざかって随分経ちます。

スキーシーズンは、 どうしても体力保持に心がけたくなる生活に入ってしまいますので。 押し入れのスキー板に再び出会うのは、 いつのことになるのでしょう?


 そろそろ、 再会してもいいかな?と思いつつ、 毎年、 シーズンを終えてしまっています。

男性合唱との 出会い 下京地区 北尾 剛久

 今にして思えば京都会館の舞台に立ち、 歌を歌うことなどつい3年前まで合唱団員の誰が想像したでしょうか。

毎年6月に開催されている京都合唱祭にこれまで2度出演させていただきましたが、 大観衆を前にしてプロ顔負けの美声?を披露しているのが何だか不思議な気持ちがします。


 私はこれまで音楽とは全く無縁の人生を送ってきました。

子供の頃から楽器を習っていたわけでもなく、 学生時代にグリークラブに所属していたわけでもありません。

そんな私が男性合唱に出会うきっかけというのは3年前に入会した 「京都中小企業家同友会」 にあります。

休眠会員が多い為、 部会や行事への参加意識の向上を図る目的で発足した活性化委員会の席で 「皆で楽しく歌でも歌えばいいじゃないですか。

そうすれば会員さんたくさん出てこられますよ」 そんな思いつきで言った一言が合唱部すなわち 「京都中小企業家同友会 街の社長さん合唱団」 誕生のきっかけだったのです。


 さて、 発足はしたものの集まった部員はわずか4名。

そしてこの4名とも楽譜が全く読めないというありさま。

指揮者を引き受けてくださった会員の吉田繁さん指導の下、 特訓が始まりました。

毎週1回午後7時から9時までの2時間、 10分程度の休憩を入れてひたすら歌う。

いや歌うというより兎に角無我夢中でなりふりかまわず大きな声を出していました。

自分自身、 歌がうまいわけでもなく、 当初 「こんなことをして何になるだろう?

どうせ今年の忘年会の余興で歌うまでのことだし、 これが同友会活動に参加するきっかけぐらいにはなるかな」 程度のお気楽というか、 いい加減な気持ちで練習に参加していました。

ところが練習を重ねていくうちにもっとうまく歌いたい、 そして多くの方々に自分たちの歌声を聞いてほしい、 という思いが日増しに強くなりそれが今度は練習を楽しく充実したものに変えていったように思います。


 合唱に対して真剣に取り組むようになった一番の理由はなんといっても多くの会員の方々と出会えたことだと思います。

当初4人で始まった部会に次々と参加者が集まり、 忘年会では団員15名程の合唱団になっていました。

そして何よりうれしかったのは、 そろいのユニフォームを身にまとった団員一人一人が主役となり練習に励むことにより皆が会への帰属意識を高め、 結果として会の活性化に貢献しているのだという思いを日に日に感じるようになっていったことです。


 とはいえ指揮して下さった吉田さんは大変な思いをされたと思います。

音楽音痴の集まりなのです。 どんなに変な音が聞こえても私たちが落ち込まないように引いたり押したり、 うまく歌えば 「大変結構でした」 と満面の笑みを浮かべながらおっしゃいます。 (決して苦しまぎれではありません)


 忘年会が終わっても解散することなく、 これからもこの部会を存続させていこうと話合っている時、 京都合唱祭参加という新たな目標が生まれました。

四パートに分れてのよりレベルの高い猛練習の甲斐あって昨年は前回よりさらに上達し、 歌声にもみがきがかかったように思います。


 お陰様で合唱祭や同友会の催しにも多数参加させて頂きそのたびごとに皆が自信をつけています。

現在団員も24名に増え、 今後はさらに高い目標を掲げ努力精進を重ねていこうと思います。


 景気低迷の中、 業績不振に悩む経営者は数多くおられます。 団員の方々も例外ではありません。

いつも思うことですが、 同友会活性化の為に始めた合唱を同友会の一サークル活動のみで終わらせるのではなく会社経営活性化のきっかけにして頂けたら幸いかと思います。

私自身も部員の皆さんを手本にして合唱を通じて学んだことを日々の業務に役立てていきたいと思っています。

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支所だより 
 

○上京支所
平成13年6月1日 研究会 「平成13年度税制改 正のポイント」 京都ブライトンホテル
平成13年7月26日 研究会 「民事再生法に絡む不良債権の処理」 京都ブライトンホテル
平成13年9月20日 研究会 「税理士事務所のコンピューター管理のリスクについて」 京都国際ホテル
平成13年12月12日 研究会 「個人確定申告書新様式の説明」「米国同時多発テロと日本経済」 ルビノ京都堀川
平成14年1月16日 「14年3月申告用の所得税の確定申告の手引」 の配布
平成14年1月22日 研究会 「改正税理士法」 京都国際ホテル
○中京支所
平成13年6月5日 研修例会 京都全日空ホテル
平成13年9月22日 支部対抗ソフトボール大会 勧修寺グラウンド
平成13年10月14日・15日 支部親睦旅行 小豆島方面
平成14年1月17日 書籍の無料配布 「改正税理士法の重要ポイント」
税に関する書籍の無料配布 「所得税の確定申告の手引」
○下京支所
平成13年5月16日 緊急連絡分担表発送
平成13年7月9日 支部関係役員等合同委員会 京都タワーホテル
平成13年7月16日 国税局職員異動速報配布
平成13年7月24日 研修会開催 「改正税理士法」 京都タワーホテル
平成13年9月2日 支部懇親旅行を共催 北海道
平成13年9月17日 国税局職員録配布
平成13年10月25日 青壮年税理士と下京税務署幹部との座談会 京都タワーホテル
平成13年10月25日 青壮年税理士と下京支部幹部との座談会 京都タワーホテル
平成13年11月1日 研修会開催 「資産税を中心とした事例研究」 京都タワーホテル
平成13年12月11日 研修会開催 「失敗事例に学ぶ」 京都タワーホテル
平成14年1月16日 「確定申告の手引き」 配布
○右京支所
平成13年7月24日 支部・支所共催 研修会 京都全日空ホテル
平成13年9月9日・10日 支部・支所共催 親睦旅行 小豆島
平成13年10月2日 支部・支所共催 特別研修会 リーガロイヤルホテル京都
平成13年11月8日 支部・支所共催 特別研修会 京都税理士会館
平成13年11月〜12月 業務用図書の配布
平成14年1月24日 支部・支所共催 研修会 京都全日空ホテル
平成14年1月 業務用図書の配布
○左京支所
平成13年6月3日・4日 研修旅行 高知方面
平成13年9月22日 ソフトボール大会 勧修寺グラウンド
平成13年11月20日 ボウリング大会 アピカルイン京都しょうざんボウル
○東山支所
平成13年4月11日 春季研究例会 「生活習慣病のおもしろ健康科学」・大同生命との東山地区連絡協議会 ホテルブライトンシティ 山科
平成13年8月7日 夏季研修例会 「税理士法改正について」 京都パークホテル
平成13年9月2日・3日 支所懇親旅行 仙台
平成13年11月6日 秋季研究例会 「金融商品会計について」 「保険を取り巻く環境整備について」
○伏見支所
平成13年6月4日 定期総会後意見交換会 新都ホテル
平成13年7月25日 夏季意見交換会
平成13年9月15日 ソフトボール大会 伏見グランド、 清和荘
平成13年9月30日〜10月1日 支部・支所旅行 浜名湖方面
平成13年12月19日 臨時総会後意見交換会
○宇治支所
平成13年6月4日 京税協宇治支所会議 京都センチュリーホテル
平成13年10月22日 大同生命との宇治地区連絡協議会 静山荘
平成13年12月13日 京税協宇治支所会議 静山荘
○園部支所
平成13年4月5日 京税協役員と両丹地区組合員との懇談会 天橋立
平成13年5月21日 支部定期総会 三亀楼
平成13年6月22日〜12月13日 譲渡所得の勉強会 園部納税協会・亀岡市 農協
平成13年4月12日〜1月6日 園部税務署と支部三役の懇談会 園部納税協会・園部税 務署
平成13年8月25日 年刊誌 「るり渓」 の発行
平成13年8月30日 第二回一市八町 「税経懇談会」 枕川楼
平成13年10月12日 改正税法研修会 園部税務署
平成13年10月15日 大同生命との地区連絡協議 会 室田隆一農園
平成13年10月7日〜11月18日 税を知る週間
平成13年10月29日 平成13年記帳指導協議会 園部税務署
平成13年11月8日・9日 研修旅行 琴平
平成13年11月29日 租税教室講演見学 みずほ中学校
平成13年12月21日 支部臨時総会 鈴家
平成13年9月12日〜10月17日 簿記教室 ガレリアかめおか
平成14年1月8日・9日 源泉所得税指導相談 園部納税協会
平成14年1月21日 支部新年会 三亀楼
平成14年2月1日〜27日 確定申告期税務相談 ガレリアかめおか
平成14年1月24日〜30日 各商工会の決算説明会
平成14年2月12日〜13日 譲渡所得の申告相談 ガレリアかめおか
平成13年6月22日〜12月7日 支部役員会
○福知山支所
平成13年10月1日 研修用図書配布
平成13年10月12日・13日 研修親睦旅行 兵庫県
平成13年11月21日 研修用図書配布
平成13年12月7日 支所忘年会 サンプラザ万助
○宮津支所
平成13年10月 「平成13年版法人税の決算調整と申告の手引」 「平成13年版申告所得税取扱の手 引」 配布
平成13年10月 「平成13年版大阪国税局管内各税務署職員録」 配布
平成13年11月 「平成13年11月改訂資産税取扱と申告の手引」 配布
○舞鶴支所
平成13年10月 「法人税の決算調整と申告の手引」 配布
平成13年11月18日・19日 支部研修親睦旅行に協賛 鎌倉
○峰山支所
平成13年6月3日・4日 会員親睦旅行 富山市
平成13年7月17日 京都税経学院短期講座受講 福知山納税協会
平成13年9月25日 「法人税の決算調整と申告の手引」 配布
平成13年11月7日 教養研修

 
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理事会報告

 平成13年度第5回理事会を12月14日午後3時30分から開催しました。
 当日の出席状況は次のとおりでした。
 理 事 48名
 監 事  4名
 相談役  6名


 [決議事項]
第1号議案
 組合加入承認の件
 次の12名の組合加入が承認されました。
 なお、 組合員総数は、 1432名、 出資金総額は14058万円となりました。

高野 勝元 藤本 繁光 大藪 昭郎
寺西 伸郎 永田  健  土江田雅史
猪子 幸男  松山 佳樹  村下 好成
野々山 宏 東  智之 平田 利男
(申込順・敬称略)

    
               
第2号議案
 組合設立30周年記念事業実行委員会の構成並びに委員の委嘱について
 構成については総務委員会・会計委員会・広報委員会・式典委員会・講演委員会・保険委員会・事業委員会・表彰委員会にて構成し、 委員候補者には就任承諾書を発送する旨説明があり、 議場に諮ったところ、 全員異議なく承認しました。


第3号議案
 教育情報事業費並びに支所運営諸費について
 教育情報事業費並びに支所運営諸費について支出案を議場に諮ったところ、 全員異議なく承認しました。


[報告事項]
1 財務報告
 二股常務理事から11月末日現在での財務報告がありました。 保険収入の項目を従来から変更する旨報告があり、 特に問題となる発言もなく全員了承しました。

2 各部門報告 (主要事項)
○支部連 「新年祝賀会」 への協賛金について…昨年同様協賛金を支出する旨報告がありました。
○講演会について…平成14年1月16日に京都税理士会館においてパネルディスカッション形式で、 登録代理店の先生を対象に開催する旨報告がありました。
○第16回全国統一キャンペーンの表彰者・運営要領について…営業職員の受賞者数は今回は58名になりました。
 また、 懇親会は取りやめになり、 京都税理士会館にて表彰式を執り行うことが報告されました。
○トリニテー特別講演会の開催報告について…去る11月2日に開催されました講演会には148名の応募があり、 123名の出席があったことが報告されました。
○京都新聞社会福祉事業団へのチャリティー寄託報告について…12月3日に、 1017865円のチャリティー寄託を行なった旨報告がありました。
○一泊旅行の実施計画及び下見報告について…一泊旅行の下見を12月9日・10日に実施した旨報告がありました。

組合の動き

12・3 京都新聞社会福祉事業団にゴルフコンペ等のチャリティーを寄託
12・5 保険講演会打合せ会議開催
12・5 学院・短期講座開講 「年末調整の仕方について」  講師 福田 敦先生  参加 85名
12・7 編集委員会開催 (第96号の編集方針について)
12・9〜10 一泊旅行下見実施
12・14 正副理事長会・常務理事会・支所長会議・理事会・役員委員合同忘年会開催
12・18 税務便覧制作委員会開催 (税務便覧の販売状況について他)
12・24 大同ゴルフコンペ打合せ実施
12・28 事務局仕事納め


平成13年
1・4 事務局仕事初め
1・8 正副理事長会開催
1・9 編集委員会開催 (第96号の編集割付について)
1・10 保険講演会打合せ会議開催
1・10 近畿税理士会賀詞交歓会に出席 (於 H阪急インターナショナル)
1・15 近畿税理士会京都府支部連合会新春講演会・新年祝賀会 (於 京都ホテル)
1・16 第1回大同生命代理店講演会開催 (於 京都税理士会館)
1・17 第16回全国統一キャンペーン表彰式開催 (於 京都税理士会館)
1・21 編集委員会開催 (第96号のゲラ校正)
1・24 編集委員会開催 (第96号のゲラ再校正)

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シリーズ 「京都のひと」

  京都に生きる −茶禅一味の求道者−  ヘンリ・ミトワ師          伏見地区 中西 作治

  「ヘンな外人」 という変な言葉がある。 外人らしくない変った外人――というような意味で、 日本人は、 ごく軽く使用するが、 当の外人にとって、 あまり愉快な表現ではないと聞く。

では 「ヘンな外人」 とは、 どんな人かというと、 来日したついでにオリエント趣味を楽しんでみるというような人には使わない。 これは、 ただの外人。


 生け花を少々かじる。 ついでに母国へ帰って人に教えてみようかと、 つい打ち込む。 茶の湯もついでに習う。

正座は少々きびしいが、 ついでに着物も着てみる。 片言の日本語でも日本文化を理解しようとする意欲まんまん。

誉められるべき人である。 でもこの人が 「ヘンな外人」。

 百数十年前、 鎖国から覚めた日本をめざし、 多くの外国人がやってきた。

本物もいたし、 一攫千金の山師もいた。

そんな集団の中に、 お雇い外国人として明治政府に招かれたフェノロサという人がいる。

アメリカ人、 東大で哲学を講じ、 政府の特別顧問として、 日本美術の研究をし、 有名な奈良斑鳩の法隆寺夢殿に、 千数百年間、 秘仏として人目に触れることがなかった救世観音を世に出した。

岡倉天心はその高弟である。 天心は、 明治期、 美術界の指導者として活躍、 日本美術院を創設した。

アメリカのボストン美術館東洋部長ともなり、 英文で著された 『茶の本』(THE BOOK OF TEA) という著書もある。

アメリカ人は岡倉天心を 「ヘンな外人」 という (いや言わない)。

その天心の弟子が京都を爆撃対象から救ったといわれるアメリカ人ウォーナーである。

明治期に蒔かれた種子が結実した例であろう。


 ラフカディオ・ハーン (小泉八雲) もいる。 もとイギリス人でギリシア生まれの文学者。

松江の士族、 小泉節子と結婚し、 日本に帰化。

松江中学・五高・東大などで、 英語・英文学を講じ、 日本に伝わる怪談をまとめて英語訳で 『怪談』 (Kwaidan) を著した。


 近くはライシャワー博士、 アメリカの歴史学者、 専門は日本史、 東京生まれの知日家。

もちろん日本語はペラペラ。 駐日大使にもなる。


 ドナルド・キーンもいる。 日本文学の研究家として、 日本人研究者と肩をならべる存在である。


 この人たちは、 「ヘンな外人」 の概念を超えて、 ある意味で大部分の日本人より日本通という存在だが、 今日の主人公、 ヘンリ・ミトワ師もまた、 その中に数えられるべきだろう。

 ミトワ師は、 駐日アメリカ大使館付通訳として、 明治31年来日したドイツ系アメリカ人の父と、 日本人の母の三男として横浜に生まれた。

父は仕事の都合で、 東洋各地を旅し、 後に息子一人を連れてアメリカへ帰国した。

残された幼いヘンリは母の手ひとつで育てられた。 横浜のカトリック系カレッジで学び、 自宅はウォール街の大恐慌で、 アメリカからの送金が途絶えるまで、 山手の和洋折衷の豪邸であったという。


 その後、 うらぶれた町へ引越し、 いろいろな仕事をして生計を支える母の苦労を見かねて、 学校を中退、 生活費をかせぐため仕事に就く。


 昭和15年、 ヘンリ21歳。 別れた父を探すべく、 客船氷川丸に乗船、 アメリカへ向かう。

客船として最後の航海だったという氷川丸は、 第二次大戦中、 病院船として使用され、 不思議にも沈没を免れた。

後年、 その氷川丸が横浜の山下公園で見物に興されているのを再訪する機会を得たという。

3等船室、 303号、 今も残るその狭い8人部屋での旅立ちが、 我が聖母観音とも崇める母との永別であったと聞けば、 その感慨も、 ひとしおであったであろう。

 太平洋11日間の航海の後、 アメリカシアトルにつき、 父のいるロサンゼルスをめざす。


 切符を買うために持参した日本円は、 もはや紙くず状態で、 それから1年3ケ月後、 太平洋戦争が始まった。


 日米開戦、 その非常事態の中で、 太平洋沿岸に定住していた2世、 3世を含む10万人にもおよぶ日本人、 日系人が、 身の安全を保障するという名目のもと、 強制収容所へと送られた。

この暴挙の詳細は別にたくさんの本も出されているので記さない。

とにかく若き旅人ヘンリもその一人。 強制収容所での辛い生活を、 さらに辛いものとしたのは、 その容姿。

実はヘンリは外見上、 日本人の目には日本語を解する白人としかうつらないのである。

他の収容者たちから、 アメリカの回し者などと陰口、 いじめの対象ともなったのだ。

その中で、 「母の国へ銃を向けることはできない」 と兵役を拒否、 米国籍を放棄して5年間の収容所生活に耐える。

後年、 連絡がつくようになって判明したことであるが、 同時期、 日本に残っていた兄も、 進駐軍に解放されるまで、 やはり獄中にあったという。

爆撃にさらされた戦場下日本での苦労を思うなら、 強制収容所での私の体験など問題にならないと師は語る。

 戦後、 妻子とともにロサンゼルスに移り、 ミサイル部品開発会社で、 エレクトロニクス技師として、 エリートサラリーマンとなり、 朝鮮戦争の好景気で高給取りとなるが、 ここから本人の苦悩が始まる。

楽な生活をより享受しようと、 生活費に追われ、 ローンに追われるだけではないか、 もっと、 もっと、 満足を知らない物質主義。

そのストレスから病を得る。

そんな時、 ロサンゼルスの貧しい町で布教していた日本人の禅僧、 故千崎如幻師と運命的な出会いをし、 「清泉」 の号をうける。


 千崎師との出会いと、 その教えが、 今や37歳になったミトワ師の後半生を再び日本へ、 そして茶禅一味、 和敬清寂の京都へと導くのである。


 20年近く暮らした父なる国アメリカとの別れが、 どのようなものであったか、 詳しくは聴かない。

帰りついた母なる国日本は記憶に残る、 目刺しと、 漬物の貧しい国ではなかった。

目刺しも、 漬物も、 みそ汁も、 ステーキも、 まっ白い米飯も、 お好きにどうぞ。

代金さえ支払ってくだされば。 高速道路、 高層ビル、 飛行機の旅、 どうぞ、 どうぞ有料です。

アメリカ西海岸の昨日までと変わりない今日を約束しますというミニチュア版物質主義がそこにあった。 昭和35年のことである。

 さて、 京都に辿りついたミトワ師、 アメリカで知遇を得ていた妙心寺の古川大航管長のもとに身を寄せ、 得度することになる。

病み上がりの身に、 あたたかい他人の心はさらにつづく。

1年後、 先代家元淡々斎によって茶道裏千家第3期研修生として、 初めての外人内弟子となったミトワ師、 「ヘンリさん?、 細っこくて、 手と足が着物姿には長すぎて、 背をスッと伸ばして、 フワッフワッと歩いてはった。

蚊とんぼか、 かまきりか、 闘争的ではないから、 やっぱり蚊とんぼやなと想像して、 その不安定さが面白かった。

いつでもフワッと笑ってはったなあ」 その頃を知る人の愉快な述懐である。

 ところでミトワ師が辿りついた京都裏千家、 言うまでもなく、 表千家・武者小路千家とともに千利休から脈々とつづく 「茶禅一味」 のわび茶の宗家である。

しかし、 お茶というのは、 中国からの舶来品を、 僧栄西が、 源実朝の2日酔いの薬としてすすめたなどという歴史を考えれば形式を整え、 茶礼という禅寺での求道の世界へ展開する素地とともに、 今日も残る洛中洛外図屏風などに描かれた 「一服一銭」 の立売茶は、 文字通り、 一碗の茶を飲ませる、 かつぎの屋台が、 花見の場に、 紅葉狩りの場にと登場し、 だれもが簡単に楽しめる享楽的なものでもあった。

日常茶飯事、 無茶苦茶、 お茶を濁すなどという言葉も今日生きている。


 女性たちが着飾り、 群れ、 道具を誇る現実に出会ったミトワ師の心に去来したであろう、 夢見たものとの落差は、 茶の湯というものが、 その始めから内包していた矛盾でもある。

 昭和48年、 後醍醐天皇ゆかりの京都嵐山、 大本山天龍寺の師家、 平田精耕師の弟子となり、 僧堂生活に入るが、 30年経た今、 昔、 長すぎた手足は自然に納まり、 安定し、 修行の厳しさを感じさせる確かな目線は、 それでもやはり、 フワッと柔和に流れて、 83歳を迎えた。

 文章を物すれば 「座って半畳寝て一畳」 の畳が両窓側の腰ほど高い床にずらりと並び、 その一畳が各自修行僧に与えられた天地。

上の棚には柏餅式寝具が一枚。 その下の小棚には………。


 食堂の細長い飯台に勢揃いして持鉢をひろげて食する粥は天井が映る。

それを梅干と古沢庵で味をつけて静かにすする。 昼の斎座でも麦飯に味噌汁と沢庵。

物あふれる飽食時代の喧 (かまびす) しい栄養学者の説教もここでは馬耳東風。

病は生きている証拠、 一日で死ぬものもいれば百まで生きるものもいる。

われら皆釜中 (ふちゅう)の魚。     ヘンリ・ミトワ著 『嵐山のふもとから』

 このあとも流暢な文はつづく。 臘八接心 (ろうはちせっしん) という天龍寺12月の僧堂風景だ。


 紅灯の巷に一碗の茶ならぬ酒を需めて、 作務衣姿でさまようことも、 自転車にその身をあずけて嵯峨野の野道をさすらうことも、 思いついてアメリカを旅することも、 自然で無理がない。


 現実を見つめる時、 ミトワ師の眼は、 あくまで冷徹だ。

  「今回のイスラムのテロ?アメリカの大統領は自らを正義・善とし、 攻撃してきた方を悪魔だと断定し、 大国アメリカを反省するところがないと批判されているが、 ある意味で仕方がないよ。

施政者がテロの最中に、 こちらも悪いところがなかったか、 よく考えて……なんていったら自国で袋だたきだよ。

行けえ!と旗を振るしかない。 だいいちブッシュは賢くないしね。

キリスト教はモラルの哲学、 善と悪に分けて、 究極の善なるものが神なんだよ。 神道はいいね。 哲学じゃない。

水で清めて終わり。 すべて洗い流せるもの。 だから日本は素晴らしい」

 数奇な運命にあやつられるなどという形容では語りつくせない師の人生、 「我が人生、 人は悲劇ととらえるかもしれない。

でも、 よくよく考えて傍観すれば、 やがて消える灯燭に照らされた舞台を、 よろめきさまよう操り人形の喜劇」 「茶禅一味」 「和敬静寂」 を求め京都まで来ても、 本物にはなかなか出会えなかったけれど、 天龍寺での明け暮れ、 ふと自らの身辺を見渡してみれば、 これこそ我が境地、 求めた世界だ。

月に数度の本山出仕と、 作務のかたわら、 いけばなインターナショナル京都支部長として、 花を楽しみ、 裏千家茶人として茶をたしなみ、 好きな禅語は 「日々是好日」。

信楽の作陶に精進し、 個展を催すこと数度。

なつかしい人たちをしのびながらの、 小さな土の五輪塔制作は、 いつしか師の宗教活動ともなり、 石油缶で焼きしめ、 人さまにさし上げる。


 講演、 随筆などを通じて、 物質主義を批評し、 日本人に日本文化の真髄を説く、 アメリカ国籍の禅僧は、 天龍寺南芳院に収容所時代から変らぬ信頼で結ばれた夫人と二人、 今は静かな明け暮れの 「ヘンな日本人」 である。

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