民事再生法と… 北田副理事長のご逝去を悼む |
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組合の動き 同好会だより |
京都この100年 ふれあい美術館 |
平安京の運営は延暦3(784) 年に始まり、 それにつれて桂川 (上流は保津川、 大堰川と称し、 下流は淀川に合流して大阪湾に至る) に面した嵯峨、 梅津が木材の集散地として開け、 一方、 市中では堀川筋を中心に徐々に木材商人の街が形成されていった。
一、明治以前の京都における材木屋集落の形成と流通
『京都嵯峨材木史』 によると、 明治以前の変遷について次のように述べている。
「洛中の材木集団が堀川を中心に成立をみていくのは元慶3(879)
年であって…堀川は河幅4丈の河川で水量も豊かであり、 平安京造営当時、 諸国からの材木がこの堀川を利用してもたらされ、 平安時代からの貯木場として賑わっていたことは十分想像されるところである。
その堀川の材木商人も長禄3(1459) 年には祗園社に属する12町の材木商人たちが祗園社の神人として材木座を結成し、 貯木場を独占するとともに大鋸板は座人以外に売買することが禁ぜられるという特権を、
また、 文和元 (1352) 年には 『古屋』 の処分権までを独占することになるのであるが、 この堀川の材木商人は京都近郷の山林から移出されてくる木材および、
淀川を登ってくる土佐材、 瀬戸内・熊野方面の材木も取り扱い、 近世でもこの堀川材木座の所在地が中心となって京都市中=洛中の木材市場を形成していくのである。
…」
このようにして、 天明享保期 (1720〜1780) ごろには堀川12町 (今出川〜三条)
の材木商人は50余店にのぼったといわれている。
これに対して、 洛西の嵯峨、 梅津、 桂では、 大堰川筏、 すなわち丹波材の揚陸地となり、 “三ヶ所材木屋”として特に江戸期に隆盛をみることになる。
次に、 京都の南の玄関口ともいうべき伏見は、 当時、 流通の大動脈のひとつであった大堰川 (保津川) 改修事業を成し遂げた角倉了以(すみのくらりょうい/1554〜1614)
の高瀬川水路の開削によって大阪と京都とをつなぐ淀川および高瀬川舟運の要衝として栄えた。
現在でも残る高瀬川は慶長15年(1610) 木屋町二条から三条四条を経て九条鴨川を横断し、 伏見淀川に流入する幅7メートル延長5,648間(10,166メートル)
の運河である。 鴨川の二条から水を引いた流れの速い浅い川には、 タカセ船 (15石) が往来し、 京都市中と大阪を結ぶ交通運輸の幹線的役割を果たしていた。
この高瀬川は別名木津川 (木のつく川) と呼ばれていたと伝えられるが、 いつの頃からかその川筋を木屋町と呼ぶようになった。
現在、 木屋町三条以南の先斗町に材木町という町名があることも、 この地帯に材木屋、 木挽屋、 木樵小屋などが所在していたことを物語っている。
京都の西北部、 鷹ヶ峯は丹波山国荘から小野郷を通り平安京に入る周山街道の要衝として、 中世以降から集落が発達し、 丹波地方から京へ入ってくる農林産物の集散地であった。
したがって現在 「北山台杉林業」 に代表される北山丸太もこの鷹ヶ峯を流通拠点にして運びこまれたのである。
このように、 明治以前には既に、 堀川筋をはじめとして、 洛西の嵯峨 (嵯峨組)・梅津 (梅津組)、 伏見そして鷹ヶ峯 (北扇屋町組)
の四地区で材木集落が形成されており、 そのいずれもが水路を中心とした流通を利用して発展していったことがわかる。
二、西高瀬川と千本材木街
明治維新の後、 皇居が東京に遷されるに伴い、 京都の街の賑わいは一時鳴りをひそめた。 しかし、 時間の経過とともに落着きを取り戻し、 京の街にも再び活気が蘇ってきた。 したがって木材需要も旧に倍して増加してきたが、 当時は運輸機関が不完全であったため、 経費高を余儀なくされる状況にあった。 このため、 京都府は明治元年に下嵯峨の大堰川から分流して梅津、 太秦、 西院の三村を通過し、 朱雀野村字西京の南端、 字壬生の北端の地、 すなわち三条通に沿い東千本に至り、 南に折れて四条川に合する運河の開削工事を進めた。 これが西高瀬川で約10キロメートルに及ぶ。 この工事は明治3年に終了し、 その後、 改修を重ねて千本三条地域までの運搬が円滑に行われるようになった。 これを契機に丹波材産地の山国付近の人々が続々と壬生 (千本通り三条以南) に転住してきて、 西高瀬川の水運を利用して材木商を営む者が増加し、 材木街を形成するに至った。 明治29年12月には京都鉄道株式会社 (明治37年に国鉄に編入) の建築工事により、 園部から二条駅までの鉄道が開通したことにより、 丹波材の陸上輸送が活発化することとなった。 さらに、 明治32年には奈良県桜井と京都間の鉄道開通、 また、 桜井には大阪鉄道の延長工事によって駅が出来た (明治26年) ことによって流通経路も飛躍的に発展した。 明治末期から大正初期にかけて千本筋や二条駅西側に20数店の木材業者が集まる最初の引き金となった西高瀬川も鉄道運送の発展につれて次第に影をひそめてゆき、 大正末期には、 その姿が消えてしまったのである。
三、北山丸太流通の変遷
ここで、 京都を代表する北山丸太について、 もう少し詳しくみてみることにする。
北山磨丸太の江戸時代における流通は、 鷹ヶ峯をその経路としており、 江戸前期にはすでに問屋的材木商が成立していた。 寛政年間
(1789〜1801) で13件に達していたという。 当時は、 中河(なかご)村 (現在の中川北山町) から菩提の滝を経て上の水
(坂尻峠) を越える山道を、 絣の半纏に三幅前垂れ、 縞のたちかけ (もんぺ) をつけた女性が数人一緒になって、 頭のうえに1本から2、3本の丸太を乗せてはこんだ。
北山丸太は、 鷹ヶ峯の材木商から京都市中の材木店や大工棟梁へ、 のちには大阪の材木問屋へも販売された。 市中の運搬は同じく鷹ヶ峯に発達した運送業者が請負い、
大八車または牛車 (明治後期は馬車) により運ばれ、 大阪にはまず市中の高瀬川浜に持ち込んで回漕業者を通じて舟運で伏見港へ、
そこで積み替えて淀川をくだり、 大阪の長堀、 横堀などに陸揚げされた。
明治時代になると、 府道・周山街道が開通し (明治35年)、 京都への最短路として、 また車馬利用による交通運輸が大幅に改善された。
大正15年から昭和初頭には、 周山街道の改修が進み、 トラックによる運送がはじまり、 時代の流れとともに陸運中心に移り変わったということはいうまでもない。
四、北山台杉林業と北山磨丸太
運河等を中心とした流通とともに発展してきた 「北山台杉林業」 とその作品である 「北山磨丸太」 は、 京都を代表する伝統産業でもある。
台杉林業とは杉の人工植栽の手法であり、 この発祥の地や起源については、 色々と説の分かれているところであるが、 京都北山における起源は鎌倉時代の末期頃にさかのぼるといわれ、
坂尻の奥、 中河村ではじまったといわれている。
この台杉林業で育てられた北山杉は全て手作業によって菩提の滝の砂を使って磨きあげられ、 北山磨丸太として完成される。 北山磨丸太は江戸中期以前、
京都以外に出荷されたことはなく、 当時の古建築に多く使われており、 たとえば、 伏見稲荷大社の御茶屋、 妙喜庵、 大徳寺の黄梅院・竜光院・高桐院、
湘南亭、 桂離宮などがあげられる。
光沢と強度に優れた北山磨丸太にも、 昭和40年代の住宅ブームと共に需要が増加し、 手作業から機械作業という、 いわば工業化の波が押し寄せることとなる。
現代に至っては、 住宅事情による和室の減少や日本建築そのものの減少などで、 高級銘木である北山磨丸太の需要が以前に比べて減ってしまったことは、
誠に残念である。
五、当時の面影
今も姿を残す、 堀川、 高瀬川、 西高瀬川。 しかし、 これらの川を利用した材木の流通が隆盛であった頃と比べれば水量も激減し、
当時の面影すら感じられなくなってしまっている。
流通が陸運にとって変わっても、 「京都府の木」 として選定された北山杉 (昭和41年) を原料とする、 美しい北山磨丸太は21世紀以降にも末永く残ってほしいものである。
参考・引用文献
「銘木史」 全国銘木連合会
「北山台杉と磨丸太」 坂本喜代蔵
「半世紀」 京都銘木協同組合
「京都嵯峨材木史」 大阪銘木協同組合
写真提供・株式会社 三条小利 (戦前の周山街道付近と北山磨丸太作業風景)
両丹懇談会 開催日 平成13年4月6日(金) 場 所 天橋立ホテル (宮津市) 両丹地区組合員の先生方の多数のご参加をお願いします。
■住民税について
◆住民税の特別徴収事務
給与所得者に係る住民税につきましては、 所得税の源泉徴収と同様に、 給与所得者の毎月の給与から特別徴収することが給与支払者に義務づけられています。
まだ特別徴収されていない給与支払者の方につきましては、 平成13年度から特別徴収を行っていただく必要があります。
なお、 住民税の納入に関しましても、 納期の特例の承認を受けた場合は、 年2回 (11月、 5月) で納入できます。
◆給与支払報告書
留意事項は次のとおりです。
○提出期限…13年1月31日
期限内に、 できるだけ早く必ず提出してください。
○給与所得者の 「住所」 「氏名フリガナ・漢字」 「受給者生年月日」 欄の記載…これらの項目で個人の特定を行いますので、 特に正確に記載してください。
○ 「(摘要)」 欄の記載…次の場合は、 必ず記載してください。
・12年分所得税の定率減税について、 控除した年末調整定率控除の金額
・12年中に中途就職した給与所得者について、 前職分の給与等を通算して年末調整を行った場合…他の支払者が支払った給与等の金額、 徴収した税額及び控除した社会保険料の金額、 並びに他の支払者の所在地及び名称、 退職年月日
・控除対象配偶者及び扶養親族がある場合…控除対象配偶者等の名前
◆提出先・問い合わせ先
給与支払者の所在する区役所の市民税課主税係 (給与支払者が東山区内又は京都市外に所在する場合は、 東山区役所課税課市外特徴係)
■償却資産税について
◆償却資産税 (固定資産税) のあらまし
固定資産税は、 土地や家屋以外に、 工場、 商店、 駐車場、 マンションなどを経営されている方が、 その事業のために使用する償却資産に対しても課税されます。
◆償却資産の範囲
1月1日現在に所有されている次のような事業用資産です。
○構築物…門、 塀、 庭園、 舗装部分、 広告塔、 簡易間仕切り等
○機械及び装置…各種産業用機械及び装置、 受変電設備、 立体駐車場設備等
○船舶・航空機…ボート、 ヘリコプター等
○工具・器具・備品…切削工具、 測定工具、 作業工具、 応接セット、 パソコン、 自動販売機、 陳列台、 看板、 ネオンサイン等
○車両及び運搬具…ブルドーザーなどの大型特殊自動車 (自動車税又は軽自動車税の対象となるものは除きます。)
なお、 上記の資産種類は、 法人税又は所得税における区分とほぼ一致しますが、 建物、 建物附属設備として計上されている資産でも固定資産税における家屋評価の対象とならないもの (簡易間仕切り、 受変電設備、 立体駐車場設備等) については、 構築物又は機械及び装置に振り分けて申告していただく必要があります。
◆評価額、 決定評価、 税率及び免税点
○評価額…固定資産評価基準に基づき、 取得価額をもとに、 耐用年数に応じる減価を考慮して算出します。
○決定価格…評価額と理論帳簿価額 (定率法による月割償却を行った1月1日の帳簿価額で 「特別償却」、 「割増償却」 及び 「圧縮記帳」 等は行わないものとして算出) の高い方が決定価格になります。
○税 率…1.4%
○免税点…150万円
◆平成13年度の申告について
○申告の種類
はじめて申告される方等…全資産申告 (所有される全ての資産が対象)
12年度に申告をされた方…増減資産申告 (前年中に増加・減少した資産が対象)
なお、 前年度の決定価格が100万円未満の納税義務者の方には、 往復はがき による資産の状況の報告をお願いしています。
○申告期限…13年1月31日
(なるべく13年1月19日までにお願いします。)
◆申告書の様式について
平成10年度の地方税法の改正により、 申告書の様式がB4判からA4判に変更されました。 京都市では12年度申告分からA4判に変更しています。 電算処理などで独自に申告書を作成されている場合は、 A4判で申告を行っていただく必要がありますので、 よろしくお願いします。
○申告書の提出先・問い合わせ先…資産所在の区役所・支所の固定資産税 (担当) 課
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右京地区 桜 井 武 |
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場外という人生の守備につき | |
悪魔とも握手を強いる処世術 | |
聖火燃え消える三十八度線 | |
「お帰えり」 の | |
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咲き揃い菊人形の | |
太り過ぎ |
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琵琶湖の湖岸道路に面した琵琶湖大橋の近くに、【佐川美術館】があります。
広い敷地に伸びやかな大屋根が印象的な外観です。 一歩門を入ると、 その敷地の大部分を占める水庭が静かに迎えてくれます。 そして水庭に沿って入り口まで続くアプローチは、
心を落ち着けてくれます。
佐川美術館では、 日本を代表する芸術家である日本画家の平山郁夫氏と彫刻家の佐藤忠良氏の作品が展示されています。
平山郁夫氏は、 広島での被爆体験から 「平和を祈る」 気持ちが全作品を通じて訴えられ、 鑑賞することによって心の平安を得られるようなすばらしい作品です。
「仏教伝来」 をテーマにしたシルクロードシリーズは有名ですが、 一九九六年の作品 「平和の祈り―サラエボ戦跡」 は、 破壊された街をバックに子供たちが、
力強く澄んだ瞳で立っているという、 人間の再生する力を信じる希望ある作品です。 またこの作品の 「大下図」 も並んで展示されております。
「大下図」 とは、 日本画の制作過程における下絵のことですが、 そこには本絵では見られない細かい線まで描き込まれており、 作品と比べて鑑賞すると大変興味深いです。
佐藤忠良氏の彫刻は、 子供や女性が多く、 女性の体は限りなく美しく、 子供の姿は限りなく愛らしく、 佐藤氏の人間の美に対する温かい眼差しが感じられる作品ばかりです。
なかでもお孫様をモデルにされた作品は、 思わず触れたくなるような可愛さです。
作品を鑑賞された後は、 館内のコーヒーショップサムでお茶はどうでしょう。 水庭を眺めながらゆったりとくつろげるステキな穴場だと思います。
あるいは、 水庭を取り囲むように設けられた回廊のベンチでゆっくりされるのもいい休日になるでしょう。
是非一度お出かけください。
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〒524-0102 滋賀県守山市水保町北川2891 | |
TEL 077-585-7800 FAX 077-585-7810 | |
開館時間/9時30分〜17時00分(最終入館は16時30分迄) | |
休 館 日/毎週月曜日 (祝日に当たる場合はその翌日) | |
年末年始 ※展示替等のため臨時休館する場合があります。 | |
入 館 料/一般 1,000円 団体 (20名以上) 800円 | |
高・大生 600円 団体 400円 | |
小・中学生 300円 団体 100円 | |
駐 車 場/無料 |
長野県小布施町は、 浮世絵師・葛飾北斎が晩年を過ごし、 彼の画業の集大成である祭屋台天井絵の大画を描き遺した場所として有名。【北斎館】は、
長野電鉄小布施駅から駅前通りをそぞろ歩くこと約10分、 「栗の小路」 沿いに小布施での北斎を物心両面から庇護した土地の豪商・高井鴻山記念館や土産物屋を抜けた所にこぢんまりと建っている。
北斎は、 1760年、 江戸本所に時太郎として生まれ、 19才で勝川春章に入門し、 役者絵や戯作挿絵を修行。 20才で 「春朗」
の名で浮世絵界にデビューすると以後は70年間の画業生活のなかで30有余の落款を用いたという。 46才から50才頃まで葛飾北斎を名乗り、
読本 (よみほん) 挿絵や北斎漫画に代表される絵手本 (えでほん) に新風を巻き起こし、 70才代になって傑作 「富嶽三十六景」
を制作、 浮世絵の世界に風景画という新たな分野を確立した。 75才になって新たに意を決し、 浮世絵界から離れ、 自己の絵画姿勢を肉筆画の世界へと向け、
和漢の故事事典や、 宗教的題材・動植物に基づく作品を描き、 晩年に至ってなお制作意欲を失わなかった。 1849年90才、 浅草で没す。
(展示内容)
屋台展示
天井絵をはめ込んだ2基の祭屋台を展示。 東町祭屋台の
「龍・鳳凰」 は、 八十五才のとき、 約半年を費やして制作されたもの。 上町祭屋台の天井絵には、 怒涛図二面 「男浪・女浪」
(86才時作) が画かれている。
肉筆展示
和風の展示空間に、 掛軸、 額装、 屏風、 画帳など北斎肉筆画や画稿・書簡を展示。 明治期に海外へ流失した 「菊図」 「生首図」
などが近年になって日本へ戻ってきたのをはじめ柳下傘持美人・七小町・白拍子等、 北斎の青年期から老年期までの作品が多数展示されている。
映像展示
マルチスライドで 「画狂―北斎と肉筆画」 と 「小布施の北斎」 を上映。 幅七メートルのスクリーンから迫力ある画像が展開される。
版本展示
狂歌絵本、 読本、 絵手本・絵本等を展示。
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〒381-0201 長野県上高井郡小布施町大字小布施485 | |
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開館時間/3月〜11月 9時00分〜17時00分 | |
12月〜2月 9時30分〜16時30分 | |
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休 館 日/12月31日および1月1日 | |
入 館 料/大人 500円 小・中・高生 300円 | |
駐 車 場/有料 |
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