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今から約100年前、 丁度日露戦争期の日米関係を象徴する人物を紹介したい。
彼女の名はお雪。 京都は祇園のあでやかな芸妓であった。
京都百年史 |
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右京地区 今井 弘子 |
京都の縄手新橋上ルのところに 「小野亭」 というお茶屋があった。
芸妓達の出入りのお茶屋にも格があり、 ここは外国人ばかりをお客にするので、 ここに呼ばれる妓を、 仲間では一流としない風習があった。
19才のお雪に小野亭の仲居がささやいた。
「あんたをあの外人さんが是非梅が枝に連れてきておくれと言うてなさるが」
梅が枝は円山温泉の宿である。
「モルガンさんいうて米国の百万長者さんの一族の息子さんやそうな」
日本の春を見に来たジョージ・モルガンは沢文旅館の滞在客で札ビラを切っていた。
彼は米国屈指の大財閥モルガン氏の一族で、 未婚で、 美貌な30才の青年だが、 お金と美貌だけでは女は思うままにならず、 米国から失恋の痛手をいやしに東洋へ来たのだと何処からともなく知られていた。
又、 彼は札ビラを切って情界を遊び回り、 泳ぎ回った割には花柳の巷でさえ、 惚れた相手を幾度も逃がしている。
明治30年頃は、 金の威光が今ほどではないと言わないが、 女の心が物資や名望に淡かったといえよう。
廓の女でも、 躰は売っても心は売らないと口はばったく言えた時代であった。
モルガンがお雪と初めて逢ったのは1900年。 この時はあっさり別れてアメリカへ帰っている。
その後お雪が21才の時、 又京都へ来て恋心を打ちあける。
外国人の客専門の小野亭で、 おとなしいお雪が胡弓を弾くのをモルガンがじっと聴いている時があったという。
細面に白い肌、 漆黒の髪を結い上げたお雪の姿は、 古典的な大和撫子そのもので、 一目見て彼は恋に落ちたのである。
「お雪さんを連れて行きたい」 が、 お雪には、 末はこの人の夫人(おくさん)にとはかない望みを抱いていた恋人がいた。
鹿児島生まれの京大法科生。 眉目秀麗な29才の彼は言った。
「噂は聞いていたよ。 君の出世を悦(よろこ)んでいるくらいだ」
彼は続けて言った。
「僕に尽くしてくれるのは有り難い。 が、 はたして君と一緒になれるかどうか約束できない。 君は行くほうがよい」 と。
お雪は死のうと言われたら当惑するに違いないが、 そんなふうに恋人から理知的につっぱなされて、 説明のしようがないわびしさにただただ淋しく思うのであった。
一方モルガンは真心で求愛した。 これが単なる火遊びでなかった事は、
「私(うち)、 お妾はんはいやどす」 と言うお雪に、
「お妾さんではない。 お雪さん、 あなたはわたくしの夫人(おくさん)です」
モルガンは結婚してちゃんと正妻にするという。
ダイヤモンドの指輪の土産があろうとも、 未来をかけて約束した人に背く気にもなれずお雪は心の中を清算されないまま結婚準備は進み、 4万円の結納金も決まって、 完全に妓籍を脱したのであった。
モルガン34才、 お雪23才の時である。 結婚式の着付けは
「婿さんが洋服ならあんたも洋服にしなされ」
「そんなおかしなこと出来まへん」
で、 急に2軒の呉服屋さんが招かれて、 モルガンも紋付きの羽織という事になった。
紋は丸に鹿の紋を染める事になった。
1904年1月、 横浜の米国領事館でめでたく結婚式をあげたのである。
新聞は、 米国トラスト王の倅モルガン氏はその恋花嫁のお雪と華燭の典を挙げたと報じた。
お雪とモルガンは、 連れだって横浜から船に乗って一路アメリカへ向ったのである。
大財閥モルガンの一族が東洋人を妻にした! これは合衆国でもセンセーションだった。
もし、 今のようなマスコミの時代なら、 テレビや週刊誌の格好の餌食であったにちがいない。
好奇の目が四方八方から押し寄せる中、 2人はニューヨークに新居を構える。
2人の蜜月はそう甘いものでなかった。
開けたアメリカも又、 古い国の家柄と同じようにブルジョア規約があるのであった。
400名で成り立っている金満家組合がモルガンを除名し、 モルガンの一族の親戚会ではお雪を夫人に持つ彼を一門から排除した。
又ニューヨークの社交界からも、 漂泊的な生活をしている上に、 お雪がカトリックの洗礼を受けていなく、 クリスチャンでない女と結婚したという理由で、 非紳士的行動だと追われるようになる。
又お雪も社交界では米国の他の夫人と同様に丁寧にされたが、 好奇心を持った目にさらされ、 言葉も解らず何を言われているかモルガンの顔色で悟るしかほかないのであった。
何処へ行っても、 眼、 眼、 眼と痛い視線を感じていたので家に帰るとホッとして、
「お友達と何の話をしてらしたの?」
モルガンはあまり気乗りがしないふうで、
「例のとおりお雪さんの身元調べ」
お雪はすまなそうに、 ほほ、 ほほ、 と笑う。
−モルガン君、 君の夫人は芸妓ガールだと聞いたよ−
モルガンは友人から聞いたこの言葉を押し隠し、
「どうして君の夫人は日本服ばかり着ているのだと聞くから、 それは一番似合うからだと言っておいたんだよ」
お雪はモルガンのその言葉と調子に何か普段と違う物を感じとるのであった。
実際モルガンは煩わしかった。
「うるさい奴等だ」
「お雪さん、 フランスへ行って住まおう。 パリは静かでいいですよ」
モルガンが父母と住んだ壮麗な館はレックスにあったが、 彼は新妻と暮らすにはパリが良いと思った。
ブローニュの森の近くの高級住宅地の門構えの独立した建物が並ぶ一軒家に2人は落ち着くのである。
お雪の肖像 「モルガンの甥、 東洋の花嫁をくどくために日本語を学ぶ」 の見出しで、 事件を伝えるサンフランシスコ・エグザミナ−。 「モルガン夫人は、 アメリカの基準からすれば美人ではない。 しかし、 潤いのあるアーモンドのような形の東洋人の目をしている」 と記事は伝えている。 ジョージが傘をひろげているのは、 周囲からの好奇の視線からお雪を守るため。 後ろに隠れ、 頭巾で顔をつつんだお雪の姿がいじらしい。 |
その後モルガンは莫大な父の遺産を継ぎ、 お雪もパリの生活が身についてきたが、 やっぱりはじめの内は、 デパートへ行けばデパート中の評判になり煩わしかったが、 アメリカ社交界とは大分違っていた。
パリで平安に暮らしてはいたが、 日本人嫌いとの噂が立ち誰1人つき合っておらず、 近くに住む同じような年頃の、同じ京都出身の女性とさえ行き来が無かったという。
京都の生家へも、 母親が死んだあとは、 あまり便りもなかった。 が、 母の無い家への仕送りは、 財産管理者から絶えることなく几帳面に送っていた。
幸福は永久のものではない。 それは世界大戦が始まった時であった。
モルガンはニューヨークへの用事があってお雪を残し単独で行ったが、 パリに1人残したお雪を案じ所用もそこそこに帰仏を急いだ。
そしてモルガンは、 あの多くの人の恨みを乗せて沈んだルシタニア号に乗るが、 予感からかジブラルタルで上陸し陸路パリへ向うのである。
がどちらにせよ死への道であった。 途中スペインのセビリアで急病で逝ってしまった。
1915年、 モルガン43才。2人の結婚から10年後のことである。
「死が2人を分かつまで」 とは、 キリスト教の結婚に際しての誓いの言葉だが、 その言葉どおりに2人は死が分かつまで添い遂げた。
その後お雪は異郷で1人暮らしていたが、 言語学者のタンダールと再婚し、 マルセイユやニースに住んだ。
そのタンダールにも死別した後、 1938年、 およそ24年ぶりに帰国し、 81才まで京都で生きた。
晩年はカトリックの洗礼を受け、 修道院に通い2番目の夫であるタンダールの遺著 「カンボジア・フランス語辞典」 の出版に力を注いだと伝えられている。
祇園の芸妓という華やかな経歴から考えれば、 地味で信仰に生きた晩年であったが、 これには訳がある。
彼女は根っからの芸妓ではなかった。 生家は刀剣商を営む名家であったが、 お雪が生まれて間もなく父親が死んだ。
その後家運が傾き、 お雪達三姉妹は仕方なく祇園の芸妓になったのである。
もともと名家の血が流れていた。 そして、 おそらく教養もあったのだろう。
気品もあったのだろう。
それがモルガンを引きつけ、 又、 2人の夫との結婚生活を何の破綻もなく最後まで続けさせたのであろう。
京都へ帰ってから住んだ家は、 柳馬場錦を少し北にあり、 今は食事処となっている。 2階の座敷や蔵は当時のまま保存されているという。
(注)モルガンお雪 1881〜1963 (明治14〜昭和38) 本名加藤ユキ。 京都生まれ。 祇園の芸妓時代にアメリカの大富豪、 モルガン商会の御曹司ジョージ・デニソン・モルガンと知り合い結婚。 4万円の落籍金という事でも評判になる。 アメリカへ渡るがモルガン一族に拒絶されフランスに移り住む。 |
2・ 1 学院 短期講座開講 「所得税の計算と申告の実務」
講師 安井伸夫先生 参加 94名2・ 5 中間監査実施
2・ 7 学院 短期講座開講 「贈与税と譲渡所得の計算と実務」
講師 海沼芳晴先生 参加 39名2・ 8 正副理事長会開催
2・ 8 相談役会開催
3・22 正副理事長会・理事会開催
3・22 税務便覧制作委員選出会議開催
3・26 第27回大同チャリティーゴルフコンペ開催
於 グランベール京都ゴルフ倶楽部 参加 112名3・29 旅行・ゴルフ世話人会開催 (平成12年度の一泊旅行の開催について他)
3・31〜4・ 1 事務局職員慰安旅行実施
4・ 1 支所設置・活動開始
4・ 3 学院 短期講座開講 「年金の基礎知識」
講師 原田孝一朗先生 参加 57名4・ 5 両丹地区組合員と大同生命との合同地区別連絡協議会
及び正副理事長との懇談会開催 於 天橋立ホテル 参加 67名4・ 5 学院 職員研修講座開講 「新入職員のモラルとマナー」
講師 岡本佳子先生 参加 17名4・ 9 大同生命ミニ業推会議開催
4・ 9 編集委員会開催 (第93号の編集方針について検討)
4・10 学院 短期講座開講 「税理士損害賠償責任について」
講師 南部孝男先生 参加 21名4・11 学院 簿記実務コース開講 全7回 (第1回)
講師 竹内政明先生 参加 29名4・11 東山地区・大同生命地区別連絡協議会開催
4・12 学院 職員研修講座開講 「社会・労働保険の基礎知識」
講師 原田孝一朗先生 参加 29名4・13 保険委員会及び大同生命との連絡協議会開催
4・15〜16 一泊旅行 「ゆったり天然温泉と旬の海の幸料理で満喫!!」 開催 参加 94名
4・18 学院 簿記実務コース開講 全7回 (第2回)
講師 竹内政明先生 参加 29名4・19 学院 職員研修講座開講 「やさしい税金教室」
講師 中村清之先生 参加 33名4・19 税務便覧制作委員会開催 (平成13年度分税務便覧の作成について)
4・20 全国税理士共栄会 業務推進委員・事務委託組合責任者連絡協議会に出席
4・20 中京地区・大同生命地区別連絡協議会開催
4・24 大同保険推進協議会に出席
4・26 京税・大同代理店協議会開催
4・27 学院運営委員会開催(今後の学院運営について)
5・ 2 学院 簿記実務コース開講 全7回 (第3回)
講師 竹内政明先生 参加 29名5・ 7 編集委員会開催 (第93号の編集割付について)
5・ 7 学院 実務講座開講 「法人税の基礎知識と計算の実務」 全10回 (第1回)
講師 坂部 浩先生 参加 35名5・ 9 学院 簿記実務コース開講 全7回 (第4回)
講師 竹内政明先生 参加 29名5・10 学院 短期講座開講 「連結納税制度の計算構造と論点」
講師 中田信正先生 参加 43名5・13 トリニテーシステム推進協議会・第11回定期総会に出席
5・14 学院 実務講座開講 「法人税の基礎知識と計算の実務」 全10回 (第2回)
講師 坂部 浩先生 参加 35名5・16 学院 簿記実務コース開講 全7回 (第5回)
講師 竹内政明先生 参加 29名5・17 編集委員会開催 (第93号のゲラ校正)
5・18 編集委員会開催 (第93号のゲラ再校正)
5・21 学院 実務講座開講 「法人税の基礎知識と計算の実務」 全10回 (第3回)
講師 坂部 浩先生 参加 35名5・23 正副理事長会開催
5・23 大同生命優績営業社員表彰式開催
平成12年度第5回理事会を3月22日午後3時より開催致しました。
当日の出席状況は次のとおりでした。
理 事 34名
監 事 1名
相談役 3名
[決議事項]
第1号議案
組合加入承認の件次の8名の組合加入が承認されました。
なお、 組合員総数は1,403名、 出資金総額は15,040万円となりました。
(申込順・敬称略)
塩見 俊作 平野 篤子 市田 浩三 中村 誠三 川波 彰 森川 敏行 林 靖子 三宅 司 第2号議案
支所会計導入について4月1日より支所の設置及び活動開始に伴い、 説明がありました。
特に交付金の支払方法については3月末までに業務推進費を支払い、 4月と5月に各支部で支所会計に基づく支出があった場合は報告を頂いたのち、 5月末日に振込をする旨報告がありました。
また、 6月1日に仮払金を、 8月に第1回目支払を、 12月に第2回目支払を支所に振込む予定である旨報告があり、 議場の出席者に諮ったところ、 全員異議なく承認されました。
第3号議案
京都商工会議所1号議員推薦の件議員の候補者として廣瀬相談役と石原常務理事を推薦したいと考えている旨を議場の出席者に諮ったところ、 全員異議なく承認されました。
[報告事項]
1 財務報告
二股財務委員長より2月末時点での財務報告がありました。
前期並みで利益が推移している旨説明があり、 特に問題となる発言もなく全員了承しました。
2 各部門報告 (主要事項)
○教育情報資料の配布について…
本年度の教育情報資料配布事業として、 「平成13年度版税務ハンドブック」 を組合員に配布することが報告されました。 なお、 配布時期は6月上旬頃となる旨、 併せて報告がありました。
○中間監査の実施報告について…
2月5日に会計監査を受け、 収支報告書と提携企業の契約書の整理を要領よくするようにとの指摘があり、 早急な対応を検討していく旨報告がありました。
○業務推進費の配分について…
平成12年度12月末日の組合員数と、 大同生命総合事業保障プランの契約高・保有高に基づき各地区に業務推進費を配分し、 支出することが報告されました。 なお、 振込みは3月末の予定であり、 次回からは教育情報事業費として支出する旨併せて報告がありました。
○大同生命の手数料還元について…
8年目となる本年は、 353名の組合員に対し、 還元金を両丹懇談会・代理店協議会の場でお支払いする旨報告がありました。
○税務便覧制作委員の一部交代について…
内規である3年の任期を満了した4名の委員が退任し、 新たに4名の委員を委嘱しますが、 人選については現在検討中で、 事業委員会に一任頂きたいと申し出があり、 全員異議なく了承しました。 なお、 新委員長候補として、 右京地区の篠田展俊先生を考えている旨、 併せて報告がありました。
港区白金台にある 「東京都庭園美術館」 は、 展示している美術品のみでなく、 内装を含む建物と庭園そのものが美術品です。
アール・デコの粋を尽くしたこの建物は、 昭和八年から終戦後まで朝香宮殿下の本宅でした。
朝香宮家は、 久邇宮朝彦親王の第八王子鳩彦(やすひこ)殿下が、 明治39 (1906) 年に明治天皇の特旨により創立した宮家であり、 邸は殿下がご結婚の際、 この1万坪に及ぶ土地を明治天皇より賜ったことに始まります。
フランス留学の経験があり、 大変な趣味人であった殿下は、 建築にも造詣が深く、 自ら邸の造営に着手されました。
フランス人デザイナーと宮内省匠寮の技術者たちの手によるこの建物は70年近くの年月を経た今も当時のままで、 日本に現存する唯一の、 完全な形で残っているアール・デコの建物です。
つい先頃まで一般公開されなかったことから 「幻の建築」 と称されてきました。
まず、 正面玄関を入ったところから、 大広間につづくルネ・ラリックのガラス扉に圧倒されます。
女神彫像 (4点) のガラス・レリーフは繊細で完成された美しさです。
また床は、 一面大理石で、 幾何学模様を配したタイルは、 古代エジプトのイメージです。
1階は大広間、 大客室、 大食堂とパブリック・スペースが続きます。
大広間の床は寄木づくりで、 イタリア産大理石の暖炉があり、 その上は天井近くまでフランス製鏡が配されています。
大客室の扉はホワイトブロンズのサッシュに銀引きで仕上げたフロスト・ガラスでアール・デコ風のエッチングがとても可愛らしいデザインです。
また大きく華やかなシャンデリアが素敵です。
大食堂では、 食するところを意識してか、 窓下のラジエータは魚模様で、 パイナップル等をモチーフにしたラリックの照明がユーモラスです。
2階はご一家のプライベート・スペースでした。 各室は一部屋ごとにデザインが異なります。
特に各室の照明器具は、 アール・デコ様式の 「装飾のための装飾」 という一面を持ちながら、 部屋に応じた機能も考えられた物だそうで、 一つ一つがすばらしい芸術品です。
広い庭園にはオブジェが点在し、 宝探しのように鑑賞できます。
東京駅から山手線で目黒駅にあるのですが、 2駅手前の大崎駅に日本税理士会館があります。
会館に行かれた際に、 是非お立ち寄りください。
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〒108-0071 | 東京都港区白金台5-21-9 | |
TEL 03-3443-0201 | ||
テレホンサービス 03-3443-8500 | ||
開館時間/ |
10時〜18時 (入館は17時30分迄) | |
休 館 日/ |
毎月第2・第4水曜日 | |
(祝祭日は開館し、 翌日休館) | ||
年末年始・特別整理期間 | ||
入 館 料/ |
一般・大学生 800円 | |
小・中・高校生 400円 | ||
(10名以上の団体は2割引) |
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